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名誉校長&校長のご紹介(親子)

名誉校長大園睦郎先生

姓名: 大園睦郎(OZONO MUTSUO)

性別: 男

本籍: 日本国大阪府大阪市

略歴: 1969年3月 国立大阪外国語大学中国語学科卒業
国語教職免許取得
1969年4月― 1988年1月
日本国際貿易促進協会関西本部(現日中経済貿易センター)勤務
その間、1976年より1982年の間、日本国際貿易促進協会関西本部駐北京代表として北京駐在。
1988年2月 株式会社アキコ・カンパニー勤務 現在に至る

役職: 株式会社アキコ・カンパニー 専務取締役
大連市経済技術開発区管理委員会 経済顧問
中国投資アドバイザー

                              以 上  
 
■副校長先生、教務科主任、日本語副教授、高級日本語通訳の履歴&自己紹介(母)

副校長先生、教務科主任、日本語副教授、高級日本語通訳个人履歴(母) 1969年前に、煙台市の小学校、中学校で勉強していました。外国語が大好きだから、中学にいった時に、英語の課代表でした。1970年に文化大革命で学校を離れて、煙台市工作機械工廠に入ってグライターマシンのオペレーターと絵図員で仕事していて、2年半後、優秀なので、推薦されて「工農兵大学生」として、上海機械学院で勉強しました。卒業後に学院に残って先生になるチャンスを謝絶して、元の会社に戻って仕事を継続しました。その間アマチュアで科学技術英語と日本語を勉強しました。
 1979年仕事のために、煙台鐘表公司の技術検査課に転勤して、助理工程師になって主な仕事は品質の管理、検査、験収でした。1984年、煙台の対外開放の要求にしたがって、また、会社に推薦されて入試で武漢華中工学院の日本語専門を2年間勉強していました。それが私の生涯でありがたいチャンスで、それで、それから事業の唯一の座標が探せました。
 1986年7月に卒業したばかりで国家経済委員会と煙台市経済委員会及び、鐘表公司からの金型赴日視察団の通訳として、2週間で日本の13社を視察してくれました。その間、有幸で恩師の大園睦郎先生(70年代に周恩来総理大臣の会見を受けました、今大阪明子公司の董事です)のお目にかかりました。翌年チャンスがまた来てくれて1987年5月に会社が日本の金型を加工する新しい設備を買う為に私がまた、通訳として他の6名の技術者達と一緒に日本の長野県佐久市で、1年間、勉強、仕事、生活していました。その期間、自分の目で日本の民族の勤勉向上を見てもらって、一生の精力で中日友好の交流に力を貢献する信念を固くしてくれたから、日本IKツールの社長(井出勝久)からの多回でその会社の社員になる聖情を断って帰国しました。
 帰国後、16年間、煙台市の数十軒の会社、20位の分野に、通訳したことがあるし、大量の日本語書類及び技術資料を翻訳したことがあるし、いっばい日本へ勉強、研修、仕事に行く学生達に、指導したことがあります。それに、煙台市の責任者が日本友人を会見する現場の通訳を多回しました。
 話す価値があるのは1998年に元の会社は改制で私は早めに仕事の会社を離れたが、同じように、充実に生活していて私に精を開けさせてくれて真面目に日本語の研究ができているのである。その期間、招選されて煙台大学国際経貿学院の日本語副教授をしてくれて、同時に又、十分な時間で日本へ勉強、仕事にしたがっている中国の若者たちに指導してあげられて、多年来、私の精心で養成した学生たちは日本へ留学と研修、仕事に行く人数が今では、数百人である。(下記通り簡単に例を挙げる)

  1. 何倩さんは女性、30歳で、何年前に高卒してから、日本に行って2003年、神戸大学の大学院を卒業して、今、東京のUFG銀行の高級職員しています。
  2. 周大軍さんは男性、32歳で、国内の大学卒業してから、3年間仕事した後で日本へ留学に行って、国士舘大学の大学院に入りました。
  3. 比峰さんは男性、27歳で、埼玉大学にいった時に奨学金をもらっていたので4年間の授業料がいりませんでした。現在は大学院に入りまして、毎月18万の奨学金をもらっています。(返済義務なし)
  4. 閻振栄さんは女性、35歳で、山東省栄城市の人で方言が特に強いですが、私に日本語を教わってから7ヶ月だけの時間で大学入試に合格しました。現在、流通経済大学を卒業しました。
  5. 長崎国際大学に私が養成、あるいは、推薦した学生たちが38人で、今、半分以上の人が一級の能力証明書をもらっていて、全部授業料なし、奨学金をもらっています。
  6. 王小琳は女性、25歳、娘で、東京駒沢女子大学の映像コミュニケーション学科に在学していた時に、成績が優秀だから、文部省の奨学金をもらった外国人の留学生である。3年生の時に内定をもらって、東京のJUKIファシリティーサービス株式会社で仕事をしておりました。今弊校の校長先生になっています。
 とにかく前後5回日本へ勉強、視察に行って、及びに20年来日本の友人との付き合いと了解を通じて日本は民族自尊心と向上心が非常に強い民族で一人の抱負を持って苦しさに強いし、よく勉強して理想がある若者に対してそこへ行って何年間の鍛錬充実してからきっと有望だと思います。それが多年来ずっと執念深く追求している動力と期望である。
■校長履歴&自己紹介(娘)

校長履歴&自己紹介(娘)1981年3月5日に生まれ、
学歴:
1991年7月 「煙台市第二中学」を卒業、
2000年7月 北京の「中央美術学院附属中等美術学校」を卒業、
2002年3月 日本の「大阪日中語学専門学院」を卒業、
2006年3月 日本東京の「駒沢女子大学」を卒業、
2004年〜2006年6月東京のJUKIファシリティーサービス株式会社で2年間勤務、
2006年6月6日〜一生「煙台市経済技術開発区魯琳日語美術培訓学校」の校長

説明:
 中学校の時から英語を勉強し始めて、成績が良好です。
 「中央美術学院附属中等美術学校」に通いながら、フランス人にフランス語を教わりました。それに普通の会話レベルに達しました。
 「中央美術学院附属中等美術学校」を卒業してから、日本語を勉強し始めました。半年後日本へ留学に行きました。(2001年4月);その年の12月に日本語能力試験1級を取得しました。
 2002年4月「駒沢女子大学」に入学して、成績もよかったし、上達も早いし、文部省の約1,000,000円の奨学金をもらいました。現在、日本語が自分の母国語みたいな感じで、日本の方とコミュニケーションを取るのに問題ありません。

職歴:
 2004年から2006年6月までJUKIファシリティーサービス株式会社でホームページ製作と通訳をしていました。大学の最初の2年間で4年間の単位を殆ど取りましたので、当会社で勉強&仕事する時間がありました。2006年4月から正社員になりましたが、どうしても教育に人生を貢献したいので、6月に辞退しすぐ帰国しました。当会社での勤務時間が2年間に経ちました。

教育経験:

1、2001年から日本に行ってから、学校に通いながら5年間もずっと日本の方に中国語を教えていました。いろいろな人に好評されました。たとえばNECの主任と課長、TOSHIBARの部長、KDDIの部長、定年の公務員と学生などです。
2、2001年から今までの5年間、帰国した度に母のお手伝いをして、日本語を教えています。説明がわかりやすいので、生徒達に好評されていました。
3、「中央美術学院附属中等美術学校」に在学していた時に、何回もその学校の受験生を教えていました。NO.1の中等学校なので、競争が超激しいですが、教え子は殆ど合格になりました。

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